本音がわからない人は、感情がないわけじゃない

本音がわからない。
自分が何をしたいのか、何を嫌だと思っているのか、よくわからない。

そう言う人は多い。

そして多くの場合、
「自分は感情が薄いんじゃないか」
「冷めた人間なんじゃないか」
そんなふうに考えてしまう。

でも、実際は違う。

本音がわからない人は、
感情がないわけじゃない。


むしろ逆だ。

感じすぎるから、
感じないようにしてきただけ。

小さい頃から、
空気を読んできた。
期待を外さないようにしてきた。
波風を立てない選択を積み重ねてきた。

その過程で、
「感じた瞬間に処理する」癖がつく。

嫌だと思ったら、すぐ理由を考える。
違和感が出たら、正当化する。
怒りが出そうになったら、飲み込む。

そうやって、
感情が立ち上がる前に消すことを覚える。


すると何が起きるか。

感情はあるのに、
「感情として認識されない」状態になる。

悲しいのに、悲しいとわからない。
怒っているのに、怒っていると言えない。
疲れているのに、まだいけると思ってしまう。

これが続くと、
本音はだんだん見えなくなる。

本音が消えたわけじゃない。
奥に押し込まれているだけだ。


ここで大事なことを一つ。

本音は、
「考えて見つけるもの」じゃない。

感じたものを、
そのまま残しておくことでしか、戻ってこない。

正解かどうか。
伝えていいかどうか。
意味があるかどうか。

そういう判断を挟む前に、

「いま、ちょっと嫌だった」
「いま、少し怖かった」
「いま、なぜかザワっとした」

それを、
そのまま置いておく。


本音がわからない状態は、欠陥じゃない。

それは、
これまで生き延びるために身につけた技術だ。

でも、その技術を使い続けると、
自分とのつながりは、少しずつ切れていく。

誰とも深くつながれない感じ。
何をしても満たされない感じ。
人生が始まっていないような感覚。

それらの根には、
「感じないようにしてきた時間」がある。


もし今、
「自分の本音がわからない」
そう感じているなら。

無理に見つけようとしなくていい。
無理に変わろうとしなくていい。

本音は、
問い詰めると遠ざかる。

引っ張り出そうとすると、
また奥に隠れる。

だから今日は、
探さなくていい。


ただ、

少し嫌だったこと。
少し怖かったこと。
理由はわからないけど、
ザワっとした感じ。

それを、
なかったことにしない。

それだけでいい。


本音は、
努力して掴むものじゃない。

静かな場所で、
切られずに残っていた感覚が、
あとから、ふっと戻ってくる。

思い出すというより、
再会に近い。

本音は、
静かに生きてきた人のところへ、
ちゃんと帰ってくる。

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